ヲタ誕生日

推しゴト


モーニング娘。2001年4月15日ライブレボリューション21 春

モーニング娘。初代リーダーで現ハロープロジェクトリーダーの裕ちゃんこと中澤裕子さんの卒業日ですね。


殆んどと言うか、まず知られていないのですが、私、「郵便屋」の現場デビューの日、ハロヲタ郵便屋誕生の日でもあります。
自画自賛ですが何か?


これから書く事は一部の人にはお話したことありますが、良かったら読んでやってください。


いつもの連番相手が「ぴあ」を見て、チケ2枚申し込んだら、昼の部が当選したのです。
で、なぜか、ヲイラにお話が。理由は今もって不明ですがw。
消去法でいったら、ヲイラだったみたいです。
中学生の時にスタレビを見に姫路市文化センター以来、ライブ会場にまともに行ったことが無かったヲイラもなぜか、即決でOKしました。
その理由も不明です。多分、仕事に悩んでいたので気分転換したかったみたいです。
後付で裕ちゃん卒紺に。尚更、行かねばと。


あの当時は今と違って、特攻服・ハッピ・団体Tが多かったんでまず、それ見て、来なきゃ良かったのかなぁ〜って、思いました。


座席はステージからちょい右ずれのスタンド席でした。
後ろは小学生の女の子二人連れ。
「保護者無しなの?」、最近の子は凄いやんって、思いましたね。


で、開演。
サイリウムは知らないし、スタンディングすると小学生が見えないので着席でタイガー状態と今の自分からは想像出来ないほどの静かさでした。


しかし、トップバッターのミニモニ。
やぐっちゃんの「ミニモニ。だぁ〜」の台詞から始まって、歌が終わった時に自分の中で何かが弾けて、変わりました。
いわゆる、「目から鱗が落ちる」ってやつです。
その時は今の職場に転勤して約半年。仕事の内容より対人関係でちょっと悩んでいた時期でした。
なんでだろ、その時に「俺、○○才、彼女たち俺の半分やな」って思いました。
そして、「彼女たち、体調悪くても、機嫌悪くてもステージに立ったら、やらなあかんのやな。」
「口パクやったとしても、踊りに代役はないんやな。」
「俺の半分ぐらいの年の子が頑張ってのに、俺、何を悩んでんのやろ?」
そう思ったら、自分が悩んでいた事が非常にちっちゃく思えてきた。


終演後、1週間は紺の事を思い出すと体にこみ上げてくるものがありました。
それからは会場に行けば、元気を貰えるって思うようになって、この5年間、娘。のツアーは1ツアーに最低1公演は無遅刻・無欠席が続いてます。
「座席よりも会場に入る事が大事」って、基本ベースになってます。


それだけの気持ちを与えてもらった娘。達の卒紺はお礼の意味も込めて、必ず、行ってます。
興味の無い人からすれば、「たかがアイドルのコンサートに数万の金を払って。」と思うんでしょうが、ヲイラにすれば、されどアイドルですよ。
その場に入って、共通の思いの人と同じ気持ちを共有するのが目的なんで、金額の問題ではないのです。
入らなくて、後悔したくはないです。


そして、今ではネットや現場で色んな人と出会って、親切にしてもらってます。
ホントにありがたいです。
あの日がなかったら、今は無かったです。


いつまで、この生活が出来るかは分かりませんが、体力と気力が続く限りはヲタ活、続けていこうと思ってます。


ヲタのみなさん、こんな思い込みの激しい野郎ですが今度とも宜しくお願いいたします。
m(_ _)m